《番外編》 ペリファンさん初来日!密着取材記

12/1(月)15:00成田から丸の内・新丸ビルへGO!

2008年12月26日

立川の人たちと別れを惜しみつつ、ペリファンさんは立川駅から再び中央線で東京・丸の内へ。「移動?電車がベスト。食事?そんなのあとあと、さあ行こう!」パリからの機中も仕事で眠らず、30時間以上起きっぱなしのペリファンさん。気遣うスタッフを尻目に、日本のサラリーマン並みの馬力で次なる場所へ向かいます。丸の内では、ソトコト編集長の小黒一三氏ともご対面。「東京はどうですか?」「どこもクリーンでびっくり。みなさん礼儀正しく、これからの出会いも楽しみです」

グリーンの前に腰を下ろす、ロハスなイケメン3人組。右は、隣人祭りのコンシェルジュでもある分子生物学者の福岡伸一さん。左は、三菱地所街ブランド企画部の廣野研一さん。そして真ん中は、立川富士見町団地から中央線で丸の内へ駆け足でやって来たアタナーズ・ペリファンさん。異色の3人による“「隣人祭り」パネルディスカッション”が、新丸ビル10階のエコッツェリアで行われた。さて、どんな展開になったのか? 3人のお話を紹介しよう。

まずは、ペリファンさん。
「インターネットで地球の裏側の人とメールを交わしても、隣りに住んでいる人の顔も知らないという、ちょっといびつな今の世界。ものは豊かになったのに、人との関係は難しくなってる。無関心で、孤立して、不信感に満ちて。個人主義に走りすぎちゃったんだよね。隣人祭りが世界に広がるうちに、ヨーロッパはもちろん、カナダもアメリカも、オーストラリアも中国も、そして日本も、みんな同じ問題を抱えているんだって、わかった。

隣人祭りには、素敵なエピソードが何千とあるんだ。例えば、あるマンションに体の不自由な子どもがいた。けれど、そういう子どもが自分と同じマンションに住んでいることさえ、ほとんどの住人は知らなかった。でも、隣人祭りを開いた後、同じマンションに住んでいる3つの家族が、体の不自由な子どもの子育てを手伝うようになったんだ。それから、これは耳寄りな情報。パリでは、隣人祭りがきっかけで結婚したカップルもたくさんいるってこと(笑)。独身の方たち、さあ明日にでも隣人祭りを開こう!」

そして、丸の内一筋20年の廣野さん。
「僕は丸の内の街づくりに関わっているけど、この10年で丸の内もずいぶん変わったと感じますね。まず、“東京ミレナリオ”という光のフェスティバルを丸の内仲通で開催したこと。仲通は銀行の多い、いわゆるバンカー通りだったから、午後3時になるとシャッターが閉まって、閑散としたムードがただよっていたんだ。でも逆転の発想で、仲通を石畳にし、街路樹を植え、アート作品やベンチを置いて広場に変えたら、3時を過ぎても通りは明るい雰囲気になった。07年に陸上の為末選手が“東京ストリート陸上”を行ったのも仲通。盛り上がりましたよね。今、丸の内カフェで行っているイベントのひとつに“Ligareママカフェ”があります。大丸有(大手町・丸の内・有楽町)地区で働くママが集って、子育て情報を交換したり、悩み相談したり。隣人祭りに通じるものがありそう。それから、12月31日に丸ビルで第九を歌う“丸の内合唱団”も。スタートした年、女性限定で参加者を募ったら、なんと290名も応募が。見知らぬ人同士が毎週集まって合唱の練習をする、それがみんなの喜びになりました。そんなふうに、丸の内は、人が集まってコミュニケーションが広がる“にぎわい”のある街づくりをすすめています」

最後に、福岡さんが隣人祭りを細胞の働きに例えてユニークな話を聞かせてくれた。
「私たちの体は、脳の細胞とか筋肉の細胞とか、いろんな細胞から成り立っています。でもこの細胞たち、『自分は脳の細胞になる』『肝臓の細胞になる』と最初から決まっているわけではありません。受精卵が2つ、4つ、8つと分裂を繰り返していきますが、その時点では、細胞は自分が何の細胞になるのか決められていないのです。DNAも何も指令していません。受精卵が分裂を繰り返し、そして、細胞の数が100ぐらいを超えたとき、細胞は互いにコミュニケーションを開始するのです。細胞と細胞が、物質やエネルギーや情報をやり取りして“話し合う”のです。何を話し合っているかというと、『私が脳の細胞になるから、君は心臓の細胞になりたまえ』とか『あなたが骨の細胞になるなら、私はそばの皮膚の細胞になるわ』というふうに、相互補完的に、互いに補う形で自分の運命を決め合っているのです。こうして、それぞれの細胞が分化を果たし、私たちができあがるのです。

細胞たちは、前後左右上下ぐらいの細胞としかコミュニケーションしないのですが、それが同時多発的に、全体で行われているから大きい個体の平衡状態が保たれるわけです。これは、隣人祭りにも通じること。地域の集まりって、日本でも昔から町内会とか五人組とかありましたが、そこで行われていたのは、相互補完的ではなく、相互監視的なコミュニケーションでした。隣人祭りのいいところは、誰が来ても、誰が抜けてもかまわないという出入り自由で動的なところでしょうね」

いやいや、とっても興味深い話。体のなかの細胞同士も、フランス人も日本人も、そして、街レベルでも。話をする、コミュニケーションする、助け合うというのは、生きている素晴らしい証なんですね!

平日の夜にもかかわらず満員の聴衆が。

「隣人祭りって、何人ぐらい集まればいいの?」と女性が手をあげると、ペリファンさんが、「開く場所は狭いほどいいかな。20人とか、コミュニケーションが取りやすい人数がいい。一方で、大規模なお祭りも必要です。大勢が参加すると、次から次へ広がっていくからね」。日本に住むフランス人の男性からは、「情報をテレビやネットから得る時代だけど、ご近所さんから得る情報もためになるよ。外国人の方もいれば、いろんな経験を持った方も住んでいる。隣人祭りは、地域に目を開き、世の中を知るもうひとつの方法だよ」と、コンシェルジュとしての感想も聞かれた。

「隣人祭りは、あくまでも“きっかけ”。その後が大切です」と、2週間前にヨーロッパで始めた隣人祭りの続編的試み“ボワザン・ソリデール(ご近所さんとの助け合い)”を紹介するペリファンさん。隣人祭りの次なるステップが、フランスではもう始まっている! 左の女性は、パネルディスカッションのコーディネーターを務めた、パリ在住のジャーナリスト・南谷桂子さん。ペリファンさんとの共著『隣人祭り』の翻訳も手がけた方です。

(原稿/松井健太郎 写真/高岡弘)

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